ゴ・マウ・ティン氏は教師でありながら、文学と芸術に深い親和性を持ち、ジャーナリズム、執筆、詩作など、多方面でその才能を発揮しています。彼の作品は生命力に満ち溢れ、中央および地方の新聞や雑誌に広く掲載されています。母親と村人たちの質素な暮らしへの深い愛情を胸に、農民の汗と涙が結晶化した米粒の過酷な道のりを描いた詩「稲穂の弓」に、彼は真摯な思いを込めました。
作者のゴ・マウ・ティン氏はこう語りました。「自然災害に見舞われることが多いレ・トゥイで育ち、実った田んぼを水浸しにする洪水を目の当たりにしました。その時、母がどうしようもなくため息をつき、雨に打たれて涙を流すのを見ました。母、農民たち、田んぼ、そして私が経験した苦難を深く悔やみ、ある夜遅くにこの詩を書きました。母の苦しみと共に、孤独に苦しむ時だけ、心の奥底にある感情をすべて表現できたからです。」
著者ゴ・マウ・ティンの肖像 - 写真: NH.V |
この詩は4つの節に分かれており、それぞれにニュアンスの違いがあり、切れ目のない物語を構成しています。第1節は、嵐と洪水後の田んぼの悲痛な情景から始まり、母親が「乾いた雲を見上げる」場面がハイライトです。嘆きは描かれていませんが、それぞれの節が涙で濡れているようです。作者は擬人化表現を用いて、無生物である「田んぼ」を、自然災害による苦しみに耐えなければならない「涙」を流す存在へと昇華させています。作者は「雨」と結びつく「苦難」という言葉を巧みに用い、自然を人間の生活の登場人物へと昇華させ、天候の厳しさと農民の苦難を際立たせています。
この詩の美しさは、イメージだけでなく、感情のリズムにも表れています。悲しみは第二節で最高潮に達します。「これ以上悲しいほど強い悲しみはない」という一節は、ため息のようで、告白のようです。母の姿に深く刻まれた悲しみは、感情の極限に達します。そして、最も独特で、最も強い印象を残す詩的イメージが浮かび上がります。 「母の涙に濡れていない米粒はない」 。作者は母の涙を米粒一つ一つに溶かし込み、塩辛い汗を苦い涙へと変えて「風に吹かれて」広がっていくようにしています。 「米倉は夕焼けで重く」という一節は、詩情豊かな美しいイメージでありながら、どこかに漠然とした悲しみを孕んでいます。 「重く重い米倉」は豊作をもたらすはずでしたが、作者はそれを「夕焼け」という文脈に置くことで、終わりの瞬間を強調しているのです。この文脈における「重い」という言葉は、考えや郷愁で重いという意味です。
最初の二節で作者は畑と母親のイメージを深く掘り下げ、三節では読者を、苦労の日々の証人であり受け継ぐ者である子供のイメージへと導きます。現実に直面した子供は、 「深い泥に覆われた米粒一つ一つ」を目の当たりにしながら、「喜びを折り畳み」、「悲しみを拾い上げ」なければなりません。
次の詩節もこの悲しい感情の流れを引き継ぐかと思われたが、第三連の最後の詩節「季節は満ち足りた道へと戻る」には、「どんなに嵐が吹き荒れようとも、大地は人々を見捨てず、人生は続く」という強い信念が込められているように思えた。短い詩節だが重みがあり、過酷な自然に立ち向かう人間の並外れた忍耐力と決意を証明している。
最後の詩節は感情の昇華であり、詩全体の思想を結晶化させるハイライトです。 「五月に田は縮む/泥の筋が地平線を照らす/子は苦労の日々を締めくくる/母は今季最初の米の音に耳を傾ける」 。 「五月に田は縮む」という詩節は、大胆かつ深遠な連想と言えるでしょう。田は偉大な母親に例えられ、太陽、雨、嵐、洪水といった辛い「収縮」を乗り越えて「黄金色の穀物」を産み出します。そして、その苦難と汚れから「地平線を明るくする」のは、新たな夜明け、現在の「泥の筋」から灯される希望の光です。子は静かに、母の苦労と労苦への深い愛情と感謝を込めて、「苦労の日々を締めくくる」のです。
この詩は「母は季節の最初のご飯に耳を澄ませる」という一節で終わり、読者に様々な感情と思考を抱かせます。母は「食べる」でもなく、 「見る」でもなく、 「聞く」のです。もしかしたら、その白く香ばしいご飯の入った椀の中で、母は風の音、雨の音、稲の泣き声、夜更けの溜息を聞いているのかもしれません…。この時のご飯は、もはや単なる物質ではなく、人生の楽譜、涙と人生のシンフォニーとなるのです。
簡潔で詩的な言葉遣い、豊かな情感、独特なイメージ、対比、比喩、擬人化を柔軟かつ創造的に用いることで、著者は母親というイメージを通して農民の生活を巧みに描き出している。ゴ・マウ・ティンは母性愛以外のメッセージは意図的に伝えようとはせず、読者に米粒やジャガイモの大切さを伝えたかっただけだ。そこには農民たちの塩辛い汗の雫と、彼らの生活の苦悩が宿っている。一杯の米には、土地の「血肉」と、時間の「収縮」、風雨、そして子供たちのためにそれを包む母親の苦労が込められている。そこから、誰もが自分が持っているものを大切にし、感謝する必要がある。特に、子供たちが平和で幸せに暮らせるよう、嵐の季節を「背負って」くれた母親に感謝すべきなのだ。
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出典: https://baoquangtri.vn/van-hoa/202509/tu-canh-dong-co-that-den-bat-com-dau-mua-03d3a7f/
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