ある朝、飛ぶ練習中の雛鳥が庭に落ちてきました。雛鳥は怯えて、小さな羽を羽ばたかせて飛び立とうとさえずっていました。かわいそうに思い、巣を見つけて返してあげようと、雛鳥を抱き上げました。ところが、予想外に雛鳥はますます怯えて、さらに大きな声でさえずり始めました。
母鳥は、ひな鳥がこちらに向かって飛んでくる音を聞きました。人の手に抱かれたひな鳥を見て、ひな鳥は飛び跳ねて痛がるしかありませんでした。私はすぐにひな鳥を地面に降ろしました。ひな鳥は喜び勇んで走り、羽ばたきながら母鳥の元へ戻っていきました。まるで母鳥に導かれているかのように、ひな鳥は木の枝に飛び乗り、羽ばたきながら勢いをつけて高く飛び上がりました。私は母鳥とひな鳥を見つめながら、ひな鳥が私によく似ていることに気づきました。
大人になったばかりの頃は、親に頼らなくても自分のことは自分でできる、親の叱責など聞くに値しない、と傲慢にも思っていました。都会に出て働き、自分の生活費を稼ぎ、両親の面倒を見るためにお金を稼ごうと考えていました。まさかこんなことになるとは…。働き始めてから、「庶民の食事は大変だ。母が腰を据えて食べるような食事とは違う」という言葉の意味が理解できました。お金を稼ぐには汗水流して泣かなければなりません。都会の高い生活費に比べれば、わずかな給料など取るに足らないものでした。生活費を貯めるのに苦労しました。休日にお土産を買うだけでも、長い時間をかけて貯金しなければなりませんでした。その時になって初めて、子供たちを学ばせるために長年苦労しなければならなかった両親の苦労を理解したのです。
しかし、母から「田舎に戻って仕事を見つけて家の近くに住んでお金を貯めろ」と言われるたびに、私のプライドはどんどん膨らんでいきました。都会で惨めな暮らしを送る覚悟を決め、両親の小言を聞きたくないという理由で、失敗した顔で戻ることを拒否しました。もう両親に頼るつもりはないと、荷物をまとめて出て行こうと決意し、都会へ駆け込みました。お金を稼ぐためだけに昼夜を問わず働き、両親がいなくても生きていけることを証明しようとしたのです。
何年も経ち、私はお金を稼ぎ、自分のキャリアを築くことしか考えられなくなりました。安定した仕事と収入を得ると、最初の成果に満足し、両親に誇りに思ってもらえるよう、さらに一生懸命働きました。母があの家の子、あの家の子が月に何千万も稼いだ子、家を建てた子、車を買った子を褒めるのを聞くのは嫌でした。母が他人の子供を褒めるのを聞くたびに、私のプライドは燃え上がりました。自分も彼らと同じようにして、母に自分の功績を認めさせてやると、傲慢にも心に誓いました。
そして年月が経ちました。
そうして、実家に帰る日はどんどん少なくなり、私と両親の距離はどんどん遠くなっていきました…。
それから、ある日、小鳥は新しい巣を作り、他の鳥の隣でさえずりました。小さくて暖かい家で、夫と子供たちと忙しく過ごしていると、あの田舎の小さな家に、私を産んで育て、毎日私の帰りを待っていてくれた人が二人いることを忘れてしまいました。私はただ単純に、自分が面倒を見ることができれば両親の負担が減る、それだけで十分だと思っていました。数日間の家族との再会のために家に帰るたびに、それで十分でした。両親がそんなに年老いているとは思いませんでした。古い家の中で、彼らはただ私たちの帰りを、子供や孫の笑い声を聞きたがって待っていました。それで十分でした。私たちが持ち帰った美味しくて変わった料理は、高齢で高血圧や糖尿病のため、必要ありませんでした。彼らは多くのものを控えなければなりませんでした。
鳥は飛べるようになると、たいてい新しい巣を作り、二度と元の巣には戻りません。人間も同じです。結婚した人は皆、実家を出て行きたがり、実家に帰りたくありません。一日中叱られたり、小言を言われたりするのは疲れます。老人は物忘れが激しく、他人の子供と自分を比べてしまうので、誰もが老人と暮らすことを恐れます。そのため、若い人はもっと自由を求め、お腹が空いても満腹でも、結局は一人で暮らしたいのです。
ママとパパだけが、今でも毎日子供たちを恋しく思っていて、時々アルバムを開いては微笑んでいます。以前は子供たちが走り回ったり、笑ったり、喧嘩したり、大声で泣いたりする声が聞こえていましたが、今は静かで、それぞれが別の場所にいるようです。ついこの間も、テレビに夢中で勉強しないで子供たちを叱っていたのに、今ではみんな親になっています。晴れた日には、お母さんが古い木箱を外に出して天日干しします。木箱はいつも鍵がかかっていて、高いところにしまわれています。何か大切なものが入っていると思っていましたが、お母さんは子供たちの証明書を何枚も入れていて、シロアリを恐れて時々外に出して天日干ししています。お母さんはまた、タオルでページを一枚一枚丁寧に拭いています。
ある時、仕事に行く途中、母の家に立ち寄った時、母が宝物を乾かしているのを見ました。私は思わず涙がこぼれました。母にとって、子供たちこそが何よりの宝物だったのです。母はいつも子供たちを誇りに思っていたのに、それを口に出さなかっただけだったのです。そして、母はいつも子供たちがいなくて寂しかったのに、子供たちは母のことを覚えている時もあれば忘れている時もあり、覚えているよりも忘れていることの方が多いようでした…。
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