早朝、のんびりと街を歩きながら木々を見上げていると、インドアーモンドの葉が色づいているのを見て、胸が切なく高鳴るのを感じました。あの赤い葉が、紺碧の空にどれほどの季節の絵を描いてきたのだろうと、胸が突然揺さぶられました。そして、絵を眺めていると、心は音楽のように響き渡りました。いつか、秋のささやきに耳を傾けて座りたいと願ったのです。ビエンホーへ向けてバイクをバックで走らせ、霧の中へと溶け込んでいきました。北国の霧雨のような霧の中を歩きながら、「あなたを隠してくれる秋」への果てしない憧憬を感じました。
山間の町で、緑の房の枝にコーヒー豆が優しく揺れる音、そして朝日が昇る頃の大地が赤々と息をする音とともに、秋の歌声が聞こえてきた。そして、まるで幸運にも、ボンプン村へと続く小高い坂道を歩いていると、まるでわざと遅らせたかのように、ゆっくりと落ちてきた枯れ葉があった。丘に落ちる秋のハーモニーの音。

ボンプン村は長年にわたり、ゆったりとした通りを歩きながら、ジュライ族の古来の文化を変わらぬ姿勢で守り続けてきました。季節ごとに、そして年ごとに、「褐色の肌と輝く瞳」を持つ人々は、畑で懸命に働き、共に平和で温かい村を築いています。人々の顔や家々から、生命の新鮮さと活力がますます感じられます。
村へと続く、緩やかにカーブを描く小道。冷たい霧の中、花々の彩りを堪能することができた。高床式の家の前の緑の柵を形作る珠緒の紫色が、時の流れを刻み込んでいる。朝露に濡れた白く揺れる芙蓉(シュエンチー)の枝が、遠くで太陽の光を浴びて鮮やかな黄色に染まっている。すべてが、カントリーミュージックの響きとともに、美しい自然の風景を作り出していた。
青々としたハイビスカスの生垣に、赤い花が点在する。私は長い間立ち止まっていた。手を伸ばしてそっと花を摘むと、様々な思い出が一気に甦ってきた。幼い頃、友達とよくおままごとごっこをして、ハイビスカスの葉や花を摘んだものだ。葉一枚が千ドンで、おばあちゃんの庭で採れた甘くて香りの良い熟したバナナや、母が皮をむいたばかりのピンクグレープフルーツ、近所の男の子たちが摘んできたばかりのゴールデンデュオや熟した赤いイチジクなどを「買う」のに使った。花はよく摘んで髪に挿したり、薄い花びらを一枚一枚剥いて紙に貼って絵を描いたりした。もちろん、露に濡れたつぼみを摘んでは、甘い蜜を嗅ぐために競い合ったりもした。
夕方遅く、友人を散歩に誘った。相変わらずの習慣で、山間の町プレイクの美しい通りの一つ、レ・ホン・フォン通りの角に車を停めた。1975年3月末以来、この一帯はザーライ省党委員会傘下の機関が集まっている場所だった。私の以前の機関もこの角にあった。
最近、レ・ホン・フォン通りから、木々や屋根の隅々まで、秋の深みを感じます。さらに特別なのは、毎晩通りの入り口で漂うミルクフラワーの強い香りです。ミルクフラワーは今でもハノイの秋の花として知られているのではないでしょうか。私も、叶わぬ初恋に胸を躍らせ、何年もハノイを彷徨っていたのではないでしょうか。
また、レ・ホン・フォン通りの入り口には、昔からミルクフラワーの木が生えています。高原の太陽と風を受け止めるように、木々は天蓋を広げ、一番高い枝は2階にある私のオフィスの窓辺まで伸びています。一年中緑に覆われ、秋には芳しい香りに包まれ、私の心に忘れられない郷愁を植え付けてくれます。そして、もしかしたら、その郷愁は私だけのものではないのかもしれません。特に、丘の上で秋の歌声に耳を傾けている時などは…。
出典: https://baogialai.com.vn/mua-thu-hat-tren-doi-post566589.html
コメント (0)