初めてこの島に足を踏み入れた時、私は強い日差しや潮風の塩辛さに圧倒されることはなかった。むしろ、大海の真ん中に「生きたランドマーク」のように堂々と佇む海軍兵たちの姿に心を打たれた。嵐の広大な空間の中、彼らは揺るぎなく、屈強に、しっかりとした手綱を握り、遥かな海を見据え、愛する祖国の聖なる島の隅々まで守っていた。

波間際、私は立ち止まり、胸が締め付けられるような思いで見守っていました。岩と太陽の光と風しかないような場所で、私たちの兵士と人々は、海と島々への愛情を込めて、静かに暮らしを築いていました。網で覆われた菜園、手作りの鶏小屋に数羽の鶏、太陽と風に伸びる花の茂み…それは単なる庭園や色彩ではなく、シンプルながらも誇らしい確信でもありました。チュオンサは故郷であり、ベトナムの祖国から切り離すことのできない神聖な血肉である。島を守るということは、銃をしっかりと構えるだけでなく、命を守り、島の隅々まで息づかせ、人々がいて、愛があり、そして国家の永続的な存在であり続けることなのだと理解しました。島の兵士一人ひとりの中に、私は騒々しくも派手でもない、深く揺るぎない愛国心の姿を見ました。

シントン島( カインホア省チュオンサ特別区)にある陸軍第1士官学校の1年生と生徒たち。写真:VIET ANH

最も心を打たれたのは、代表団が海と島々の主権のために殉じた英雄的な殉教者たちを追悼する式典を執り行った時でした。静かなBGMの中、「血と骨が祖国を形作る/古きラックホンの血統の響き…」という歌詞が、皆の心に深く響いたようでした。私は、この地の島々一つ一つ、波一つ一つ、そして一寸の土地も、幾世代にもわたる父祖兄弟の血と骨によって守られていることを、より深く実感しました。ラックホンの血統は今もなお流れ続け、祖国への愛の炎をベトナムの子供たち一人ひとりに静かに伝え続けています。広大な海の真ん中で、黄色い星が描かれた赤い旗を見た時、私の目は深く痛みました。それは国の象徴であるだけでなく、国民の魂、血肉であり、最前線で戦う幹部や兵士たちの沈黙の犠牲の生きた証なのです。その困難な地で、「祖国」という二つの言葉が、常に祖国と国民の平和を第一に考え、すべてを乗り越える原動力となったのです。

チュオン・サは、軍と国民の深く温かい関係を私に理解させてくれました。素朴な文化交流、固い握手、別れの際の涙ぐんだ瞳…それらすべてが、神聖な感情の源泉へと凝縮されていました。兵士が「20歳になってもデートの約束はなかった。夢の中では、今でも母を呼ぶ…」と情熱的に歌う姿が忘れられません。その歌の中に、私も20歳になり、貢献を切望し、母を深く恋しがる自分の姿が映し出されているようでした…

私にとって、チュオンサはもはや目的地ではなく、意識と責任の両面における成熟の旅の出発点です。その瞬間から、ホーおじさんの兵士たちの理想は、信仰と規律の強さに表れているだけでなく、祖国の海と島々の神聖な波動からも育まれていることを知りました。そしてそこから、私の中に静かな、しかし強烈な願いが湧き上がりました。「珊瑚礁を抱きしめたい/バクダン川の波に呼応したい」(「チュオンサの物憂げさ」、作曲:レ・ドゥック・フン、詩:グエン・テー・キ)。この国の息吹に溶け込み、出会った兵士たちのように風と波の最前線にしっかりと立ち、自身の軍隊生活を通して国を守る物語を紡ぎ続けたいのです。

NGUYEN DO VIET ANH 伍長、陸軍士官学校 1

    出典: https://www.qdnd.vn/van-hoa/doi-song/ra-tham-truong-sa-them-yeu-to-quoc-846599