
休憩所
親しい友人だけを招き入れる隠者。その茶席で、私たちは初めて「静寂」という言葉を感じた。天地が交わる場所で、肩の荷が下り、茶道のゆったりとした美しさを静かに見つめる。万物が万物の法則に従って動いていることに気づき、喜びがこみ上げてくる。
看板も名前もない茶室。営利目的ではなく、お茶を愛し、理解する旅人たちが立ち寄る場所として開かれています。
「紳士の友情は水のように軽やか」という言葉は、あの一杯の紅茶のように、一見味気ないけれど、長く続く親密さを思わせるのでしょう。そこで私たちは、感情の揺らぎを一時的に忘れます。得るものも、失うものも、失敗も、成功も、すべてが紅茶の爽やかな味とともに一瞬にして溶け去ってしまうのです。
白茶、紅茶、古代のシャントゥイエット茶まで、茶農家の熟練した手によってさまざまな種類のお茶を味わう機会は、誰もが今の瞬間をとても大切に思うようになります。
香りを吸い込み、一口すすって、舌に残る味わいを感じました。皆が頷き合い、それぞれのお茶に独特の風味があることに気づきます。
茶室には香炉の煙、書道の文字、そして紫砂岩の急須が置かれている…ところが、銅鐸と木魚の音だけが欠けている。人生に完璧なものなどない。熱いお茶の横に鈴がないのは、人生の物足りなさを思い知らせるだけだ。
後味をゆっくり味わう
荒れた天気にもかかわらず、私たちはただお茶を楽しみました。窓の外では、標高1,000メートルを超える高地の冷気の中、小雨が降っていました。

部屋の中では、人々がクッションの上に足を組んで座り、琥珀のように金色に輝く、山と森の香りがほのかに漂う古代のシャントゥエット茶のカップから発せられる暖かさに包まれていた。
一口飲むとほのかな苦味があり、その後甘い香りが喉に広がります。まるで人生哲学における意味深い苦味のようです。人生にはどれほどの苦しみがあるのでしょうか?最初は苦く、後に甘くなるお茶の特性から、人々は苦しみが喜びであり、後味を味わいながらゆっくりと苦難を乗り越えることができるのだと理解できるのです。
お茶を楽しみながら、それぞれのお茶の起源についても学びました。紫土の急須はそれぞれ異なる種類のお茶に使われます。香りや味わいを楽しむ方法、美味しいお茶の淹れ方、茶道の文化など、どれも深く考えさせられるものでした。
茶女の器用な手は、突然閃いたように、お茶の種類によって「楽しむ」ルールが異なることを理解した。口の広いカップは紅茶によく合う。白鶴は夏は渋みが強く、冬と春は緑がかった色になる。プーアル茶に注ぐと、カップの底が鋭い目のように輝き出す…
茶道は古来より、人生を理解し、道を実践するための一種の「媒介」文化であり、茶人は茶の湯、茶の規則、茶の技法、茶の技、茶の心という「茶の六具足」を通して茶道を実践します。茶道の核心は「心」であり、茶の心を悟るには「技」を修練する必要があります。
お茶の淹れ方は、お湯を沸かすといった小さなことから始まります。お茶の種類によっては22℃のお湯が必要なものもありますが、温度が高すぎると焦げてしまい、後味の甘さが失われてしまうものもあります。取っ手のない急須で一度に淹れるお湯の量やお茶の量にも注意が必要です。
こうして、日ごとに、月ごとに、それらの作業は徐々に内在する反射となり、穏やかで普通のものになった。茶道の「日常」は、一見小さなことから、小さなことを積み重ねて大きなものを作り上げること、小さなことを軽視しないことを教えてくれるのだ。
茶道を修行することは、心と人格を修養し、人生の苦を味わい、人生を理解し、静寂を保ち、変化を観察することです。人生の喜びも苦しみも、自然と無に帰すのです。
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